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イシェ・トグデン氏
私が幼少の頃に、時々中国人たちが村の広場に大きなスクリーンを設置し、村人を集めては映写会をしていました。映画はきまって戦争ものでした。それも日本兵がいかに残酷なことを中国に対してしたかという、子供には夜も眠れなくなるような大変怖いストーリーでした。そこには冷酷な顔をした日本兵たちが奇声を発して、無辜の中国人たちを刀でばらばらに切りつけるという恐ろしい光景が映し出されていました。『日本人』という中国語は子供うちで怖いものの代名詞のように使われ、『日本人が来たぞ!』と叫んでは、鬼ごっこをやって遊んだりしていました。
時は流れて、インドで暮らすようになって、何人かの日本人と知り合う機会がありました。彼らは中国人によって植え付けられたステレオタイプとは全く違う人種で、丁寧で物静かな人々でした。これは、一部の人だけなのだろうか、それとも一般に日本人は皆こうなのだろうかといつも疑問を抱いていましたが、今回の来日でそれが氷解しました。そうです、日本人は丁寧で物腰が低く、親切で優しい国民なのです。出合った人々、皆が例外なくそうでした。
縁あって、日本の人々とつきあうようになって以来、日本はずっと一度は訪れてみたい国でした。それが今回夢叶って、来日できたことを本当に嬉しく思います。私たちと同じ仏教徒の国、顔がよく似ている人々の住む国、おどろくべき発展を戦後遂げた豊かな国、日本。見るものすべてが珍しく、感嘆してばかりの二週間は本当にあっという間に過ぎていってしまいました。
それにしても、日本はどこに行っても人が多いのにはびっくりしました。ですが、それが中国人のようにすぐ小競り合いになったり、怒鳴りあったりすることなく、実にスムーズに行き来しているのには感銘を受けました。インドの大都市にはどこも人が多いがゆえに、町中にゴミが溢れていますが、日本ではどの都市にも道にゴミがほとんど見当たりません。また、空き地が少ないのにもびっくりしました。きちんと区画整理され、住宅地でなければ、公園になっていて、土地が有効利用されているのにも驚きました。そして、一番びっくりしたのは地下街です。地面の下に張り巡らされた地下鉄網、デパートや駅ビルの地下街。よくもこんな土の下深くに作れるものだと感心しました。あとは、長いトンネルです。聞けば、海底にもトンネルがあるそうではないですか。私には想像もつかないことばかりです。
お寺がたくさんあることにもびっくりしました。チベットに仏教が伝わるよりももっと早い時代に日本には仏教が伝わったと聞きました。奈良の大仏を見に行ったのですが、それは素晴らしいものでした。古い仏像やお寺が戦火を免れて、今なお残っていることに感動しました。チベットではほとんど古い仏像やお寺は残っていません。全て中国共産党によって破壊されてしまったからです。かつて仏教の教えがこんなにも日本に広まり、いたるところにお寺があるのは想像以上でした。私たちはほんとうに同じ仏教徒なのですね。ですが、お寺の割には僧侶の数が少なかったのは残念でした。現在、日本では仏教はかなり衰退しているように見受けました。それでも、古くて美しいお寺ばかりで、本当に手間を掛けてきれいに保存されていますね。たくさんのお寺を訪ねましたが、印象に残っているのは永観堂と清水寺です。どちらも紅葉が大変きれいでした。
日本では、まだ古き良き伝統が残っていますね。東京の講演会ではお茶を立てていただきましたが、伝統を若い人たちが守っているのには大変感心しました。その時頂いた『和』と書かれた色紙はルンタハウスの私の部屋にちゃんと飾ってあります。
ちょっと困ったのは食事です。海老、蟹などの甲殻類は最後まで食べられませんでした。それにちりめんじゃこを見たときもびっくりしました。一匹づつに目がついているのが、怖かったです。ですが、日本食で一番おいしかったのは何かと聞かれれば、お魚の刺身だと答えます。それもトロが一番おいしかったです。ちょっと、チベットのヤク肉の燻製に似ています。
和歌山の白浜温泉にも連れて行ってもらったのですが、残念ながら公衆の温泉に入ることがどうしてもできませんでした。温泉には効能があって、身体によいと説明を受けたのですが、チベットでは人前で裸になるという習慣がないのです。ですが、海は大変きれいでした。クルーザーに乗せて頂いたのも、本当によい思い出になりました。あんなに早いスピードで進む船には乗ったことがありません。
いくつかの講演も行いましたが、もっとも興味深かったのは大阪のラジオ番組に出演したことです。英語で自己紹介をしたときにはとても緊張しましたが、大変いい経験になりました。
日本はとっても発展していて、便利で、安全な素晴らしい国だという印象を受けました。インドとは大違いです。ですが、講演のときに受けた質問には心の病についてのものもありました。物質的には恵まれて、どんなものでも手に入るようになっていますが、大事な心を豊かにし、平安をもたらすものは少なくなっているような気がします。それは、仏教の教えであり、他を思いやる優しい心なのです。これ無くしては、人は真に幸せになることも、心の平安を得る事もできないのです。
本当に、私の来日のために骨を折ってくださった方々、日本で案内をして下さった方々、講演会の準備をしてくださった方々、また参加してくださった方々、そしてご寄付を下さった方々に心からの御礼を申し上げたいと思います。本当に忘れがたい素晴らしい経験になりました。ありがとうございました。いつか、チベットが自由になった日には、皆様をぜひラサへとご案内したいと思います。その日が一日も早く訪れることを願ってやみません。
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