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チベット現代史一覧表


1939年 2月22日 ダライ・ラマ十四世即位(当時4歳)
1949年 10月 中華人民共和国成立
1950年 1月1日 人民解放軍の義務は台湾、海南島、チベットの解放であると声明を発表
     10月7日 中国人民解放軍、東チベット侵略
    10月19日 東チベットの首府チャムドを征服。チベット、国連に提訴するものの失敗に終わる
1951年 5月23日 北京にて、「チベット人民はチベットから帝国主義侵略勢力を駆逐し、中華人民共和国という祖国の大家族に復帰する」と唱える『チベット解放十七箇条協定』に無理やり調印させられる
     10月26日 人民解放軍ラサに進駐。食料事情悪化、異常なインフレがおこる。ダライ・ラマ法王、チベットの政治権利を摂政より引き継ぐ。(当時15才)
1954年 7月 ダライ・ラマ法王、パンチェン・ラマと共に北京訪問。毛沢東、周恩来らと会見
1956年   東チベットでゲリラによる中国への抵抗運動始まる
1958年   東チベット、北チベットに反中国暴動、ゲリラ活動広がる。 多数の死者、逮捕者を出し、強制労働キャンプに送られた彼らのほとんどが餓死する。東チベットでは寺院は破壊され、僧侶たちもキャンプに送られる。
1959年 3月10日 ラサ市民武装蜂起
  3月17日 ダライ・ラマ法王ラサを脱出、インドに亡命。チベット解放十七箇条協定を否認、新チベット政府樹立を宣言。チベット難民がインド、ブータンに流れ出る。 アイルランド等が国連総会に「チベット問題」に関する決議案提出、採択される。
1960年   ダラムサラにチベット亡命政府を設立。チベットでは抵抗運動が続き、10万人近い死者をだす。
1964年 10月 パンチェン・ラマ、ダライラマ法王支持の演説をし、人民裁判にかけられ、投獄される
1965年 9月 チベット自治区成立
1966年   中国で文化大革命始まる。多くの高僧たちが、批判集会に引きずり出され、拷問を受ける。
1967年   ダライ・ラマ法王、日本初訪問(亡命以来最初の外国訪問)
1976年   1月8日周恩来没。9月9日毛沢東没。四人組逮捕。
1979年 1月1日 アメリカと中国との国交回復。8月2日、ダライ・ラマ法王、調査のためチベットに第一次使節団派遣。10月、帰国後、チベットの無残に変り果てた様子を報告する。
1980年   第二次、第三次使節団派遣
1982年   チベット亡命政府、三人の代表を北京に派遣、中国側、ダライ・ラマ法王の地位に関する五項目の提案
1983年   中国、チベット弾圧を強化
1987年 9月21日 ダライ・ラマ法王、米下院人権問題小委員会で和平五項目案を提案(1.チベット全土を平和地帯に変える。2.一民族としてのチベット人の存在そのものを脅かす中国人の人口移住政策の廃止。3.チベット国民の基本的人権並びに民主的自由の尊重。4.チベットの自然破壊の回復と保護並びに、核兵器生産にチベットを利用することを止め、核廃棄物の処理場とすることの禁止。5.チベットの将来の地位並びに、チベットと中国国民の関係についての真剣な話し合いの開始。)
     9月27日 ラサでデプン寺の僧侶による独立要求のデモが起きる
     10月1日 セラ寺の僧侶たちによるデモがおこる
1988年 3月5日 ラサで大規模なデモ発生
     6月15日 ダライ・ラマ法王、仏ストラスブールの欧州会議で和平後項目案を説明
1989年 3月5日 ラサで独立要求の大規模なデモ。8日、ラサに戒厳令。
     6月4日 天安門事件
  12月 ダライ・ラマ法王ノーベル平和賞受賞
1991年   ダライ・ラマ法王、各国を訪問し、チャールズ皇太子、ブッシュ大統領、メージャー英首相等各首脳人と会見を重ねる。
1992年   チベット自治区、中国特殊経済区に指定される
1995年   ダライ・ラマ法王、日本を訪問する。10月アメリカにてクリントン大統領と会見。
1996年   ダライ・ラマ法王、南アフリカを訪問。ネルソン・マンデラ大統領と会見。
1997年 7月 香港返還
1998 3月 ダライ・ラマ法王、日本を訪問する
  5月 ラサ、ダプチ刑務所でデモ
  6月 クリントン大統領、北京にて江沢民と会見。チベット問題の解決を促す。
  11月 ダライ・ラマ法王、クリントン大統領、ヒラリー・クリントンらと会見。
2000年 4月 ダライ・ラマ法王、日本を訪問する
6月 ダライ・ラマ法王、クリントン大統領らと会見。



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